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チョウライ病院で亡くなられた日本人男性

もう2年半以上経ちました。
いまでも時より、T氏の言葉や姿が思い出されます。


筆者が尊敬するT氏はチョウライ病院で亡くなられました。享年77歳だったかと記憶しています。


T氏はお勤めになられていた職場を退職される前から通算20年近くベトナムと日本の往復を繰り返した方でした。
そして、人生の最後をホーチミン市チョウライ病院でむかえられました。


筆者がT氏の初めてお会いしたのはベトナム中部ダナンでした。たしか、2005年から2006年だったかと思います。簡素な服装で片言のベトナム語を喋り付き添いのベトナム人青年から「お父さん」と呼ばれていました。「お父さん」は日本語だったはずです。ベトナム人青年は全く日本語はできませんでしたが、「お父さん」だけは日本語だったはずです。


T氏は主に中部で酪農支援などを中心に活動されていました。T氏自身、某有名大学獣医学部出身で、50代の頃にはその分野の大学長まで上り詰めた方ですので専門知識も経験も豊富で右にでる方はいないでしょう。


亡くなる直前まで中部に広がる農村地で畑仕事をされていましました。体力は20代でお酒も強くだれも77歳だとは思わなかったでしょう。



当時、筆者も病院に駆けつけましたがもしここが日本だったら助かったかもしれないとの思いが今でも心の中にあります。


担当医:「高齢ですので、全ての機能が弱まります。今回、頭を強打したことが直接的要因ですが、体力があれば強打せずに上手に転ぶこともできたでしょう。手を付いて避けることもできたでしょう。」


山間部の病院でオペせずに、直接チョウライ病院に運ばれていたら助かっていたかもしれません。山間部の病院の判断は間違いだったのではないでしょうか。筆者は言いたかった。
ただ、そういった追及はこの国ではナンセンスのようでした。


人間の寿命は自然の摂理であり、抗うことはしない。これが真理かもしれないと感じました。





久しぶりにT氏が愛したベトナムに会いに行きたくなりました。

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