無識のマネジメント
般若心経には262文字で構成されている。
筆者は仏教徒です。檀家です。浄土真宗なんで本当は般若心経は唱えないんですが。
それでも日本人に広く親しまれている般若心経です。読者の中にも写経を経験されている方が多くいるのではないでしょうか。
先程、般若心経の本を手にしてこのコロナ禍に於いてとってもピッタリな言葉がありましたのでご紹介します。
『無識」(むしき)
記憶された常識を過信しない
~古い記憶を絶対に正しいと思うと、混乱と争いが起る。「無識」とは、記憶された判断分別を過信するなということ。
これからの世界はコロナと共存することからスタートします。今までの働き方に戻る、戻れるなんて過信しては行けません。それでも付いてきてくれるスタッフもいるかもしれません。ただ、お客様は付いてきてくれないでしょう。我々も新しステージへ進まなければなりません。
数年後には我々は新人に向かってこんな事を言うんでしょうか。
〇昔はベトナムの取引先でRuou Trangの回し飲みなんてあったもんだよ。それで距離を縮めたもんだよ。
〇昔はビールに氷入れて飲んだもんだよ。その氷はバケツから右手で鷲掴みしたもんだよ。もちろん、トイレの後手なんて洗ってないよ。
〇昔は中央政府に表見訪問なんてしたもんだよ。その後接待したり、そうでもしなきゃあビジネスできないよ。
〇昔は朝7時過ぎると市内で通勤ラッシュがあったんだよ。そりゃあ、バイクだから空気も汚かったけど無我夢中で突き進むバイクの群れだよ。今考えれば異様な光景だな。
〇昔は法的代表者のサインと社印がないと手続きが進まないもんだったよ。サインする為に出社していたようなもんだよ。社員からはサインマシンなんてあだ名で呼ばれてたよ。
〇昔は屋台や路上飲みが普通だったよ。これがベトナム文化なのかって思ってたよ。
〇昔は目的もなしにカフェに座ってぼーとしている男性がいたもんだよ。
〇昔は市場があってね。値札なんてないから値切ることが上手な女性は本当に重宝したよ。