一部上場企業 ベトナム現地法人社長の裏ブログ

ベトナム裏情報です。公の場では語られない事実を掲載。

ベトナムドリームを掴んだベトナム人

昔、「アメリカンドリーム」という言葉を聞いたことがありました。
詳しくは知りませんが、ゴールドラッシュから始まり第二次大戦前までの繁栄の事でしょうか。はたまた、第二次大戦後に掌握した権益によるものでしょうか。
それは今回の話題ではないのですが、ここベトナムにも『ベトナムドリーム』が顕著化して目で見る形になってきました。


90年代のドイモイ政策から2000年代のアメリカとの国交回復、令和(新しい元号)の時代にはアメリカへの関税引き下げが牽引し経済発展が著しいと聞いています。


ベトナム在住10年クラスの街角日本人に聞いてみると


質問:ベトナムの経済発展を直に見てこられてどうでしたか。


回答:「ビルやマンション、大型ショッピングモールは増えましたね。バイクも車、I Phoneも買えるようになりました。 ただ、ベトナム人は何も変わってませんね。」


往々にして、経済発展を物質面では感じられるがそれ以外の進歩を感じられないというのが現地の日本人の声。



私もそう考えてました。ちょっと物が増えただけじゃないかと。


ただ、ここ10年で彼らの収入を比較するとやはり違いますね。


10年前にお金持ちと言われたベトナム人は政府高官(共産党員)、警察(共産党員)、国営企業経営者(共産党員)が殆どでした。
庶民から生まれた経営者は稀でした。大多数が共産党員でした。


しかし、今は違います。
ベトナム戦争で活躍した共産党員とその子孫は莫大な富を手にしているので言うまでもありませんが、それ以外の共産党員はもう影は薄くなっています。


今、もっとも輝いている(稼いでいる)のは庶民から生まれた経営者達です。
10年前は貧乏学生だった田舎出身の友人も今では成功し数億円の資産を築いています。


例えば、フエ文化大学を卒業したPhuongさん(1976年生まれ)、彼はベトナム中部有数の青年実業家として表彰されています。
彼はQuangTri省出身で学生時代は学費も払えず、知人から借金をしていた程です。卒業後も彼女とデートも1杯のコーヒー(当時3000VNDだったと思います)をお金が無いもんだから二人で飲んでました。
その彼が地元で成功し、今では数億円の資産を持っていると言われています。(秘密)


一方、ホーチミン市にも数億円の資産を築いた子がいました。
十数年前に私が会った時は、ホーチミン市内にあるTanThuan工業団地でワーカーさんとして働いていました。確か、月給5000円くらいだったと思います。自転車を買うのがやっとで、深夜までバイトを掛けもしてしていました。
中卒の彼女は夢を語ることだけは許されていましたが、それ以外は何も持っていませんでした。それから数年後、起業し今ではホーチミン市内に5千万円のマンションを二つ、2億円の邸宅を1戸、そしてポルシェを1台所有しています。(秘密)



恐らく、十数年前一般的なベトナム人は皆「ベトナム共産党ではないのでお金持ちにはなれない」と思っていたでしょう。
ベトナム戦争当時、南政府側である程度の地位にいた親族は三代まで(孫の代まで)公職には就くことを許されていません。


コネなし、金なしの状態からここまで上り詰めたベトナム人が生まれたのはこの時代だからです。


そして、数千万円の資産を築いたベトナム人レベルですと数え切れません。


ちょっと人より秀でた技術や知識があれば、簡単に独立し簡単に数千万円は稼ぐことができます。


皆さんの周りに「何でコイツが車乗ってんの?!」と言うようなベトナム人いませんか?


                                    つづく

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